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これからの「正義」の話をしよう


 ある社会が公正かどうかを問うことは、我々が大切にするもの(収入、財産、義務、権利、権力、機会、職務。栄誉)がどう分配されるかを問うこと。公正であれば、これら良きものが正しく分配される。
 
 小難しいですね。この文体に馴染むためだけでも2回読み直し、そのたび「へー、エライ人はすごいなー」と感心してました(結局7回読み返した)。・・・これまでの哲学がこの「公正」をどう考えたてきたかをさまざまな例で理解を深めながら、こちらのアタマを回転させてくれる本です。
 
 実際出てくる主な名前は、紀元前から18世紀、20世紀と年代もとびとびですが、それだけ人類の社会と思考は、あっちにいったりこっちにいったりしているのでしょう。350ページの本書の最終章は、紀元前の思想の再評価だったりしますし。
 
要旨は・・・

「正義への三つのアプローチがある」
 それは、幸福・自由・美徳。どれも美しい言葉だけど、その思想には強みと弱みがある。冒頭に書いた「大切するものの公平な分配=正義」について、一緒に考えてみよう。
 
1.自由→功利主義
 あらゆる価値を質に関係なく総計し、幸福が苦痛を上回るものをよしとする。弱点は満足の総和のみを気にするので、個人の権利を尊重しないこと。(例:自分の信じてる少数派の宗教が、ある日邪宗となったらイヤですよね?)
 
2.自由→リバタリアニズム(自由至上主義)。他人に危害を加えない限り、自分が決めることが最優先。自分のものは自分のものなので、成人同士の合意には他者が口を挟んじゃダメ(例:貧しい者を救うための課税さえも、国家によるドロボーという立場)。 弱点は、同意さえあれば、人間の尊厳を傷つけることさえ認めざるを得ない論理そのもの。「自己責任」という考えは魅力的でも、実際、いくら同意の上でも食人や人身売買は誰もが賛成できるもんじゃない。
 この考えは、市場を肯定する立場だけど、現実の市場は決して公平とは言えない(全く公平な交渉はないし、持って生まれた=道徳的に恣意的な才能だの財産だの有無や環境とか色々ある)。そして、カネでは売り買いできないんじゃないかと思うものも世の中には、ある。(例:傭兵や代理出産ってのは、ホントはどうなんだろう?)
 
3.美徳→紀元前のアリストテレスが提唱の超古典的思考(が、案外捨てたもんではない)。強欲とは悪徳、悪しき生き方。災害でモノがないときに、被災者に高値で売りつけたりするような社会は良い社会ではない。弱点は、その美徳を誰がどう決めるか?ある人の美徳を押し付けられても困るし、何が美徳かは個人が選ぶもんではないのかぁ?
 
 近代に生きる我々は「自由」に価値を置いているけれど、現実の自由社会はなかなか不自由なので、もっと厳しい立場・発展的な立場として、カントさんとロールズさんを紹介してくれます。
 
イマヌエル・カント→本書で最も小難しかった箇所。まずは、全ての人間は合理的に推論できる理性的な存在だからモノや動物とは違う、尊敬に値する存在と定義。よって、ヒトをモノ扱いするようなことは全部ダメ(騙したり、買春したりとか。自殺さえも、自分をモノ扱いってことでダメ)。

 功利主義なんてのは、全てのヒトの自由を尊重しないからダメ!自由って言っても、カントの言う自由は
①誰かや何か(欲望とかも含む)の言いなりではなく、自分で決めて、行動する
②誰に当てはめても矛盾が生じない(全てのヒトは尊重されるべき存在だから)
③行動が道徳的になるためには動機が重要。その行動が目的であること。何かを成すために、では何かの言いなりで、①にあてはまらない。私利、利他、自身の傾向性からは切り離された「純粋」な「理性」による行動こそが自由。
 
 うわ、わかりにくい。
 
 もっとも、カントさんは人間がいつも「理性的」とは言ってなくて、理性と感性(欲とか感情とか)の両方を備えた存在と言ってます。禁欲的ではありますが、いつもきちんとしろとまでは言ってない人間観のようです。
 
ジョン・ロ-ルズ→1980年代の人で、カントを土台に近代の市場社会が言ってる自由を批判。先に書いた「自由市場って、実は自由じゃないよね」って言った人。例えば、全員が自分をどういう人(人種、性別、能力、嗜好等々の属性)が全くわからない状態で決めたルールこそが平等だろう、と。
 よって、才能や環境、そこから恵まれた努力ですら道徳的には恣意的(平等ではない)なんだと言い切って、そんな才覚から得た富は、最も恵まれてない人にも分かち合うことを提唱。

 著者は、このカント&ロールズのきわめて中立的(=特定の価値観に肩入れしない)な正義の理屈に異を唱えます。それはアリストレスの一見古くさい「善」への思考。現代の様々の問題でさえ、名誉や美徳を切り離しては考えられないと言います。
 
 例として、個人が各々独立した存在なら、正義が「さまざまな」善から中立ならば、なんで我々はアメリカ人だのドイツ人だのとか言った「自分のアイデンティティ」に誇りを持ったり縛られたりするのか? 実際、自分の人格はそういったものたち(我々は過去を持って生まれる)と切り離せないわけで、自由との折り合いは何かつかないものか?と提議します。
 
 最終章では、現実に色んな人が色んな考え方を持つ多元的な社会に生きてるので、お互いわーわー言い合って、聞きあって、ともに暮らしてちょっとずつ良い社会をつくっていきましょう。それはできる! なんて終わり方です。
 
 350ページをこうやって書くまでに7回読み返しましたが、誰が読むのか、こんなブログ記事。いつも本を読んだら、自分の頭の整理を、そこから新しい習慣をつけるためにワープロで簡単にまとめていますが、今回は時間がかかった・・・。
 
 この本からの「新しい習慣」・・・。うーん、ハーバード大の知性を相手に、あるのか?そんなもん。
 
 あ、あった。
①どんなもっともらしいことでも、「そうなのか」と鵜呑みにしない。あほなりに別な角度からの見方を考えてみる。
②こんな本読んだからって、わかった気にならない。
 
 アホはアホなりに。
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