FC2ブログ

殺人者はいかに誕生したか / 長谷川博一著





   私はこれまでに、殺人事件を起こした十九人との面会を経験しました。すべてに共通していたのは、その人たちが犯罪者になろうとしてなったわけではないという点です。しかし犯したことは許されない。この極限の矛盾に挟まれて、悲しい現実に心が軋みます。被害者を生まないために、犯罪者を作らないことにももっと努力しなくてはなりません。それは誰にでもできます。すべての子どもに、まず、慈しまれるという大人との関係を保証すること、です。


 大阪池田小学校児童刺殺事件:宅間守死刑囚。「物心ついた五歳頃からは、もう悪い人間になっとった。すぐカッとなって手を出しとった。それまでの育て方が大事ってことですわ」「なりたくてこんな人間になったんやない。気づいたらもうなっとって、自分ではどうしようもなかったんや。だから責任はない」

(宅間守を担当した医師)外の殻が非常に閉ざされている一方、内面は非常に情緒不安定という二重構造。理性、感情、本能のそれぞれの交流がない状態。精神状態が非常に未熟で、問題を解決する能力は小学三年生レベル。



   同居女性殺人死体遺棄事件:匿名N。(二年間連れ添った女性は酒浸りで、中学生の実子S君に虐待のような接し方をしていた~彼女自身が虐待を受けていた過去~。Nは昼夜分かたず働いていたが、自分が仕事に出ている間は彼の実子ではないS君を守ってやれないことに強い不安を感じていた)
「お母さんはいらない」
「自分が盾になってS君を守る」という意思は、「女性がいなくなれば平和になる」へ、そして「S君は、母親がいなくなることを望んでいる」との確信へと導かれます。念を押すように、S君に尋ねました。
「お母さん、いらない?」
「いらない」
「お母さん、いなくなっていい?」
「うん」
「殺していい?」
「うん」
(中略)事件後しばらく、S君はふつうに学校に通い、Nも仕事をしていたのでした。かりそめの「平和な父子」の時間です。近所の人は「仲のいい親子のようだった」と、その様子を語っていました。


(著者が述べたいのは)被告人が真実と向き合えない刑事裁判の現状を憂いているのです。中立の立場に位置し、被告人の心理に迫ること。これが私に与えられた責務です。遂行しようとすれば、検察官や弁護人の意見と対立することが起きても不思議ではないのです。


   埼玉県で起きた強姦致傷事件後のケースがあります。二十代の被告男性は、小学一年生から中学に入るまでの六年間、二人の義兄から数百回にわたる性的虐待を受けてきました。虐待を受けている間、戦慄を覚える空想を行う(解離が生じている)ことによって、その苦痛をやり過ごしていました。現実に喚起される感情を凌駕するほど強力なものでなくてはならないのです。(中略)早期に発見されず、支援を受けられず、結果として犯罪者となった人々の「子どもの心」を思い、涙を流します。




   臨床心理士である著者は中立の立場で刑事事件の心理鑑定を手掛け、将来同様の事件が起きないように、犯行の背景を探っています。本書はその中でもマスコミに大きく取り上げられた十の事件を扱ったものなのですが、殺人者もまた人間であること、それが常軌を逸するに至った背景(推察)、「中立」なる立場の難しさが記されています。

 決してゲスな興味本位で手にとったわけではないつもりなのですが、人を殺めるという行為の異常さに何度も本を閉じてしまいました(そういった描写は全く出てこないながら)。中でも、同居女性殺人死体遺棄事件に於いて、実の父子ではない二人がその結論に至るやりとり。やるせなさに涙が出ました。

 著者は殺人者も人間であり、真実(彼らがそう育ってしまった経緯も含めて)を明らかにすることこそ、罪を犯した者の責務、という立場ですが、そうした「中立」は、(著者によると)検察と弁護の勝敗を決する場である裁判では重きを置かれない、とのこと。

   本書で語られている事件は、凄惨かつ不条理なものばかりですが、加害者(事件によっては、被害者すらも)が子ども時代に受けた痛みには同情を禁じ得ず、決して「なりたくてこんな人間になったわけやない」とも思いました。

   とは言え、それがために犯した罪、被害者の命、その遺族の心痛、社会の常識への衝撃が減ぜられるものでは全くありません。いかな事情があろうとも、理不尽に生を絶たれた被害者の無念は変わるものではないのですから。

   そういった意味で、せめて再びこういったことが起きないように「なぜ起きてしまったか」を明らかにする試みは大切なことだと思います。本当に。ただ、人がそれを引き受けることというのは、大変な負担だとも。

   人はそんなに強くないと思うんです。もちろん強いのですが、それでも、
弱い、脆い部分もあるだろうと。それは、守ってくれる者があるべきだった、自分が今よりももっと弱い頃に本当に必要で。

   弱かった、小さかった頃に庇護を受けられなく育った人にとって、本当に生きにくい世の中なのでは、と思います。犯した罪とは別に。

   人が育つ過程での歪みに人の心はそうそう耐え切れるものではないことでしょう。だから、異常な惨劇も決して他人事ではないのでは、と思うのです。彼らも我らも人間である故に。自分を省みて何か恐ろしくもあり、戦慄しつつ読み終えました。


   決して、他人事ではない。決して。理不尽な死を強要された方たちに、心より合掌。そして、望まない生きかたを選んでしまった人たちの幼かった頃の心にも。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

No title

難しいね (´・ω・`)
生まれついてのモンスターというのも間違いなく存在するし。
「家庭環境に問題が」という前提で語られる加害者側の家族の苦悩、という観点からの本もあるよ。
「少年は残酷な弓を射る」
って映画観た事ある?
ものすごく後味悪いけれども(後味どころかずっと気分悪い(笑))、お時間ある時にでも。

No title

あきらさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

生まれながらのモンスター・・・。そんな人物が間違いなくいるのか・・・。多分、私は人への見方がいい年してロマンチックなんだと思います。この本読んだだけで、ショック受けてますし。

「少年は残酷な弓を射る」・・・。あぁ、タイトルだけで胸苦しくなりそう。この週末に、近所のツタヤに行ってみます。イヤな映画なんでしょうねー(@_@)

No title

この記事を読んで、本当に悲しくなって。
想像できないことではないけれど、やっぱり幼い頃からの犠牲によるものというのはあるんだなって。
まわりの大人の身勝手さを弱者である子供に押し付けたことのひずみなのでしょう。
それによって死んでしまう幼き命も多くてとても悲しいけど
どうにか大人になる過程でこわれていってしまうのですね。

「初年は残酷な・・・」の映画はわたしはミニシアターの予告編だけでしたけど
本編を観る気にはなれませんでした。
こういうのが映画になるんだって驚きました。
この本も自分で読むことはできないです(T_T)

No title

はのはのさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

重苦しい本でした。他にも山口県の若いお母さんと幼児が凶行に見舞われた事件や、埼玉の連続幼女殺害、土浦の理不尽な通り魔等々・・・。

私はミニシアター系の映画が好きなようなのですが、あきらさんご紹介の映画、ちょっとキモ据えてかからないといかんなぁ。