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奈良原一行写真展「王国」/東京国立近代美術館


   3週連続勤務のご褒美でもないですが、出張の帰りに写真展に行ってきました。初めてです。

   奈良原一行「王国」。


   もちろん知りません。ただ、いろんな美術館の情報を集めたサイトで見て、気になって。



   この男性。北海道の男子修道院で、ひたすら祈り、働く一生を選んだ人物。家族を持たず、生涯ここから出ないことを自ら選んで。



   この女性。和歌山の刑務官。本当の被写体は彼女の視線の向こうに在るはずです。刑務官が女性ということは、受刑者は女性。ここは、女性のみの刑務所、だそうです。

   自ら選んだものではないにせよ、一生ではない(可能性として)にせよ、ここから出ることなく、ある規律の下で暮らす人物が在るはずなのです。



   時期は1950年代中旬。まだ戦後の色が濃かった頃のはず。私もまだ生まれておりません。

   当時をリアルに知らないので、軽々なことは言えません。ただ、今とは違っていたはずでしょう。その上、修道院と刑務所という「異界」。そして、そこに棲む人。


   が、彼らもまた人。




   自身を思うと、自発的に修道院に入ることはありませんが、刑務所に入る可能性はないとは言えません。そんな生活してるわけではないですが、少なくとも、修道院の方が可能性は低い(笑)。

   望んだ不自由と望まない不自由とで、望まない不自由の方がより可能性が上位とは何事か。刑務官の眼の上のカレンダーは刑期の有限さと、「王国」への服従の限界を仄めかしますが、修道院の歩みは自身の生命が尽きるまでの無限運動。

  そして、無限運動の方が自由意思の結果。あぁ、だんだんわけわかんなくなってきた。




   帰り道にネットで調べた(=知らなかった)のですが、この修道院は、「トラピスト」というそうで、厳しく自身を律することで有名だとか。神との対話、自身の内省のために、上位者以外はしゃべっちゃいけないそうです。うわぁ。

    北海道みやげで有名なトラピストバターやクッキーは、この人たちが製造・販売してるのも知りませんでした。




  「異界」の人物の視線は遂に写真では捉えておらず、私に想像を委ねました。

   閉じられた空間で何者かに傅く人たち。この写真から時間は随分経ちましたが、今も修道院と刑務所は在り、自由意思で行動していると勝手に信じている私は、何者かに傅いていないと言えるものやら。


   図録を買いました。普段の暮らしに戻っても、時々眺めてみよう。異界と日常を。
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コメント

非公開コメント

No title

うん。だよね。
修道院より刑務所の確率の方がはるかに高いと思われる(笑)

父が言ってた。
宗教的信念を持った人間とは関わるな、って。
言われてみれば自爆テロなんて信念持ってないとできないよ
私から見たこの写真群は、「とても恐ろしい」

No title

あきらさん、こんにちは。コメント、ありがとうございます。

そう、すっごく怖かったんですよ。この写真展。本当に怖かった。女子刑務所は、まだ理解できるんですよ。出たくて仕方ないわけですから。一方の男子修道院。私が知ってる人間の表情と違うんだもん。不幸なワケはないんでしょうが、幸福と呼んでいいのか。異界、でした。怖かった。いや修道院ではなく、人というものが。