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ライフ=ワーク②/広島市現代美術館



   開会の翌日に行き、閉会の前日である今日にもう一度行ってきました。

    「ヒロシマ」「生と死」を表現する「ライフ=ワーク」展。



   広島市では、被爆者本人の手による絵画を原爆資料館に展示しています。その一部なのでしょうか。50枚の作品がまず出迎えます。


   ほとんどの方が「素人」ですので巧拙はあって当然ですが、もちろんそれは大したことではありません。




   倒壊し、炎が迫る家屋の下敷きになった肉親を助けることができない悲惨さ。



   防火用水や川、水という水が赤く黒い亡骸に埋まっていくさま。


   死してもなお、我が子を守る母親。そして、死んだ母親のそばから離れられない少女。


   改めて気がつきましたが、絵の中の人物は女性や子供の姿がほとんどです。戦争末期、男たちは戦地に赴いていたのか、防衛の任に就いていたのか。はたまた、安全な場所にいたのか。



   地元ゆかりの画家が多く取り上げれられています。

   山口県出身、香月泰男さんの「シベリヤ・シリーズ」。ご本人の抑留体験を基に描かれた、暗く重い、すぐ隣に死が佇んでいる作品たちです。




   零下50℃での果てしない強制労働。みんな同じ顔に描かれ、作品によっては人体ですらなくなってしまったようなものも。

   人、ではない扱いなのでしょう。ましてや個人ですら。


   広島で育った人間には、原爆詩人・峠三吉さんの挿絵で馴染み深い四國五郎さん。



   この方もシベリヤに抑留されていたことは知りませんでした。国のため、と故郷・広島を出て、「貴様らの代わりは一銭五厘(召集令状のハガキ代)でいくらでも来る。いつでもぶっ殺してやる」とすごまれる初年兵時代。敗戦の時から、中国の人たちの視線が急変し、極寒のシベリヤへ。

   並んで眠る同僚と言えども、食事時に油断すれば少ないパンをかすめ取られ、スープの配膳は底の方がより濃いからと、奪い合いになる殺伐さ。

    半死半生の状態から帰国を許され戻ってきた故郷では、18才の弟が原爆で死亡・・・。

   工場に動員されていた弟さんが、原爆投下直前に母親・幼い弟からのトマトや豆、握り飯の差し入れを受けて数日後に被曝し、親友に送り届けられたもののわずか10日あまりでの死去。それを母親と幼い弟が荷車に乗せて運び、荼毘に付し、小さな白い箱になるまでを確かなデッサンと想像で描いた「弟の日記」。

   前回も、今回も、泣けて泣けて。

    ランニングに坊主頭の7歳くらいの幼い弟が、兄の亡骸を乗せた荷車を押し、兄を焼き、白い箱の前でまなこを拭う哀しさ。そして、唯一の大人として、心ならずもそれを行う母親。

    泣けて、泣けて。



   この悲惨は、この家族だけではもちろんなく、広島だけでもありません。他の多くの町、日本以外の国にも限りなく。


   この美術館が建っているのは、「比治山」なる広島市内にある小さな山の上です。こうした山々に囲まれているために一種の密閉する効果が期待され、核爆弾の威力を測る実験場としての意味も、広島が標的とされた理由のひとつと聞いています

   事実、爆心地から1キロ程度しか離れていないこの小さな山の裏手は、山自体が防壁となって焼け残り、戦前の町並みが(私が学生の頃まで)長く残っていました。

    凶暴で無頓着な暴力の惨禍を分けた場所でもある、比治山。美術館を出れば、平和な今の時代がありました。わずか70年前に火の海であった町を、多くの人が生きながら焼かれていった町を見降ろして。
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