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呉に遊びに行きました③(入舟山記念館)

美術館を出てそのまま遊歩道を歩き、「入船山記念館」に向かいます。旧海軍鎮守府の司令長官さんの官舎だった建物。

とうに亡くなった私の母は、二十歳頃に呉鎮守府でタイピストをしていたそうです。官舎に来ることはなかったでしょうが、勤務先の鎮守府はここから徒歩10分。

そういえば、アニメ映画のヒロインは18歳で呉に嫁いで来た人物とか。昨日たまたまテレビで見た映画のシーンはこの近くの建物(さっき歩いて来たところだ)をヒロインが訪ねるシーン。小柄で可愛らしい感じだった母は、あんな風にこの辺を歩いていたのかな。

記念館敷地内の郷土資料館にも、映画のポスターや見所マップが貼ってありました。







母のことを思い出しながら入り口にちかづくと、ボランティアで案内をしてくれるという男性が声をかけてくれました。呉の町を盛り上げるために一役買っておられるそうです。入舟山記念館のことはほとんど知らないし、せっかくなのでお願いしました。




この記念館は1905年に建てられたそうで、その前から使っていた官舎が地震で半壊したために急いで作られたものだったとか。日露戦争の頃でもあり、予算に余裕がなくて半壊した建物の廃材を見えないところに使っての再建とのこと。壁の一部から廃材が覗けるようになっていました。

裏手には日本で二番目の消火栓とか、電源設備とかもあったのですが、軍のトップが住むところならではの贅です。当時の庶民の暮らしが同じ敷地内の資料館にありましたが、当然ながら全然違います。それでも海軍さんがあり、軍港と建造施設を持つ呉の賑わいは他の町とは全く違っていたとか。

私の住む広島は原爆で古いものがほぼなくなってしまっていますが、昔は中国地方最大の陸軍の町だったとか。そこから電車で30分ほどの呉はこれまた全国有数の海軍の町。戦争に負けなかったら、今とは全く別の風景だったのかもしれません。

建物正面。中央のガラスには、海軍さんの象徴であるイカリのデザインがありました。




応接に使う洋館と居住に使う和館が前後にくっついている建物です。面白いですね。




こちらは応接室。明治~昭和初期を描くドラマ(坂の上の雲、とか)で撮影に使われるとか。ホンモノですもんね。





コース料理が並べられているこちらは、要人を招いての晩餐に使われたそうです。




終戦後の占領期にはイギリスが使っていたそうで、和室には絨毯を敷いていたとか。

ここでは30分くらい見るつもりであることを伝えると、ガイドの男性急ぐ急ぐ。知ってることを立て板に水で話してくれるのですが、あまりじっくり見ることもできず30分経過して、男性は案内所に戻って行きました。

妙な感じで取り残されましたが、ガイドの見習いを最近始められた年配の女性が「よかったら私が案内をしましょう」と声をかけてくださり、またもお願い。

郷土資料館を案内してくださったのですが、生まれてからずっと呉の町にお住まいだそうで、昔の写真を見ての案内も生活感があってよかったです。母もここを歩いていたのことでしょう。

結局、ガイドさんがいなくなってもう一度一人で見直しました。それはそれでよし。




この大時計は旧海軍工廠(造船工場ですね)屋上にあったものだそうです。腕時計を誰もが持っていなかった時代でもあり、地域のシンボルだったのでしょうか。外から見えたかは知りませんが。

大時計を眺めていたら先ほどのガイドの男性がまた出て来てくれて、最後のご案内をしてくれました。

この記念公園を出たところに立って、その先にある突き当たりから後ろの信号までが戦艦大和の全長と同じで、信号機から公園内の一番奥に見える松の木までが同じく大和の全幅と同じそうです。「大和の大きさを実感してくださいね!」と送り出してくれました。





ガイドの男性さん、女性さん、ありがとうございました。


これから、しばらく海を眺めてから大和ミュージアムを覗きました。
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