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光ノ形 / 光ノ景 /広島市現代美術館②

 被爆都市ヒロシマの公営美術館なので、夏には必ず原爆関連の重い展示が恒例なのですが、今年は直接的には原爆を謳わないコレクション展です。

 光、その反面である影、そして絶望から希望を導く比喩としての光、この3つが表現された(パンフレットにそうありました)展示の今回、やはり重いモノは感じます。

 いけないわけがなく、声高に言わない今回の試みもいいなぁって思って。





 写真家オノデラユキさんの「真珠のつくり方」シリーズ。「異物を体内に入れることで新しいものを生み出す」真珠に触発されて、カメラの中にビー玉(!)を入れて撮影されたとか。

 真っ昼間に撮った写真は、幻想の夜のような仕上がりに。表現者とは面白いことを考えるもんだなぁ、と飽きずに眺めていました。








 これもびっくり。杉本博司さんの「劇場」シリーズ。もちろん、美術館に行きはじめるまで全然知らなかった人なのですが、「最後の晩餐」そのものの蝋人形たちを撮影してぱっと見は絵なのによく見たら変な作品とか、世界のいろんな湖や海を全く同じように撮った「海景」シリーズとか、こっちの固まったイメージがどっか崩されるような作品の人です。

 ナビゲーターさんによると、この「劇場」ってシリーズはアメリカの古い劇場でわざわざ映画一本上映し、その間カメラ開きっぱなしにしてて、結局スクリーンが真っ白という作品だそうです。

 見たら一瞬、画面は真っ白なのに、実は時間が90分以上は経過しているってことなので、これまたこちらの時間感覚がおかしくなってくる作品群でした。

 そう、ひとつだけでなくて、何枚も何箇所もあるので。古い劇場と言いながら中には廃劇場もあるとかなので、映画一本分だけでなく、賑わってた頃〜廃れていく頃までの長さも想像させて。あぁ、だんだんわかんなくなってきた。



 高松次郎さんの「影の母子像」。赤瀬川原平さんとつるんでいた人、という程度の認識でしたが、これは幻想的なような不穏なような。

 一見、今の感覚で言えばCG風、もしくは版画のような。なんというか手で描いた作品に見えないような不思議な感じだったのですが、よく見たら手描き。当たり前なのか。

 「あ、ホントに描いてるんですね」って言ったら、ナビゲーターさんが笑ってました。

 ヒロシマで生まれ育った身なもので、閃光で焼き付いた影を連想してしまい(作者の意図は知らないのですが)、幸福そうな構図とは離れた喪失感めいた感じを受けてしばし見入ってしまいました。

 悲しい絵、楽しい絵とか自分がイメージすると囚われちゃいますね。

 


 本展のポスターにもなっている、小林孝宣さんの「Gate」。

 青リンゴかと思ってましたが全然違って、ある邸宅の植え込みでした。ナビゲーターさんのお話では、作者がアメリカに行ったときに「普段フレンドリーでも、ある一線からは絶対に人を入れない」距離感を感じたことを作品にしたもの、だそうです。

 柔らかい光がさして幸福そうな邸宅、が向こうにあるんだろうなって想像はさせますが邸宅そのものは見えません(本当にあるのかすら)。一方、閉ざした門扉には鋭利すぎるような忍び返しがあって。

 現代美術館さんの展示はいつも面白く見せてくれる工夫があって好きなのですが、この絵(大きい)も路地のような広さ・距離のパーティションの向こうに見えるような距離に展示してあって面白かったです。解説されて初めて知った作者の意図に沿った展示。もう一度戻って見ましたもん。
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