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吉田満/戦艦大和の最期


 
 「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか」
 
 艦長「総員上甲板」繰り返さる。寥々たる生存者。ああこの時この命令を「総員退去、脱出用意」の意に介せしもの、一兵としてありしか。「総員死ニ方用意」、我らが待ち設けたるもの、ただこれのみにあらずや。
 
 見よ、われに向かいて笑いかくる者あり。童顔、むしろ少女のごとき野呂水長。波間に見え隠れするその表情は、疑いもなく微笑みのそれなり。その親愛、その歓喜。ふと涙ぐみ、涙溢れ、鼻を重油に漬けて面をそむく。われら共に死の手中にあるものを、かく豊かなる生の歓喜をたのしむにふさわしからず。微笑の心なお失われざりしことへの、自足、安堵の涙か。涙晴るれば、やがて彼を見失う。
 
 楽になる。睡るごとき平安、死。楽になりたい、死んでやれ。ああ、死のいかに甘美に、安易なることか。「生きろ、生きろ、ここまで来て死んで相済むか、死んで許されるか」身のうちに叫ぶ声す。初めて、真に初めて、生を求めん意地、カッと開く。生きたき希求にあらず、生きずんばやまざる責務なり。
 
 われ日常の勤務に精励なりしや。一挙手一投足に至誠を尽くせしか。一刻一刻に全力を傾けしや。われこれらすべてに過怠なりき。不断真摯の生を措きて、死に正対するの途あるべからず。虚心なれ。この時をして、常住献身への転機となせ。
 
 
 
 初めて本書を読んだのは小学校六年生の時で、それは旧かなづかいに近い文体の、現在流通しているものとは異なるものでした。戦争中に海軍鎮守府に勤務していた母が与えてくれたもので、プラモデルの軍艦や戦闘機に夢中だった私を戒めるためのものだったのでしょうか。
 
 しかし、読み始めると、無頓着とも言える圧倒的な暴力に言葉も出ませんでした。声をかけあった僚友は瞬時に四肢を失った肉塊となり果て、海軍の象徴はわずかニ時間で三千の人命ともども凄まじい破壊の後に海底に没します。その容赦ない現実。
 
 こうした「現実」から還った人物から見て、職責への甘さ・手ぬるさとは一体どのように映ったのでしょうか。労することなく今の平和を当たり前として享受・浪費する者は、一体どのように映ったのでしょうか。戦時中でも、平時の現代に在っても「生」の重みは同じものと思いたいのですが、弱冠二十二歳で「生涯を総決算」させられる濃度。
 
 戦争体験という、日常とは異なるもの以外で生の重みを実感することは難しいのかも知れませんが、「死と直面」するほどは自分を追い込めずとも、「日常の勤務への精励」はもっともっとできる筈であり、死ぬことしか選択できなかった先達に恥じぬ総括のためには、それしかないのでは、と考えるものです。
 
 
 常住献身という言葉、初めて知りました。深く感謝。そして合掌。
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