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ガンジスに還る

ガンジスに還る01

 かつて国語教師だった(そして、家族も知りませんが全く売れない詩人として著作もあった)77歳のダヤは、このところ毎晩奇妙な夢ばかり見ます。

 まばゆい陽光の中、木の上に腰掛ける少年だった自分を現在の自分が見上げるのですが、懐かしい母の呼ぶ声に向ってかけていく少年の自分を追いかけても追いかけても届かず、無人の村をさまようばかり・・・。

 ダヤはこの夢を「近づいた死期」のメッセージと理解し、一緒に住んでいる息子ラジーブとその妻ラタ、そして結婚を控えている孫娘スニタに告げます。「自分はもう長くない。願わくば、ガンジス河のほとり・聖地ヴァーラーナーシーで最後を迎えたい」、と。
ガンジスに還る06

 それは、「解脱の家」なる宿に滞在して「その日」を待つということ。いや、いつ「その日」は来るの?一人それを迎えるの?もう、ここには戻ってこないってことなの?

 ・・・家族は困惑しますが、頑固者で有名なダヤはまったく耳を貸しません。謹厳そうで、どこか孫娘に甘いこの爺さんに懐いているスニタは無邪気に笑いますが、嫁として苦労させらてきたらしいラタはちょっと距離を置き。何より、あまり仲の良くなさそうなラジーブは同行することで職場を離れざるを得ないことに、鉛を飲んだような顔です。

 いや、別に同行するこたないんですよ、見終わって数日経ってから思いましたが。ダヤは「かまわん、1人で行く」って言ってるんだし。でも、ラジーブは関わりたいんですね。状況をコントロールしたいんでしょう。出来もしないのに色んな事に首突っ込んで、自分で自分を縛っていることに気づいていない、哀れな中年男性です。

 私です。私のことです。

 さてインド人の優秀さは有名ですが、ラジーブの職場は日本のサラリーマン同様の窮屈さ。休みなど全然とれそうにないところを携帯電話でなんとか仕事を続けてノルマを確保するという、本人も無理と知っての「解脱の家」同行が始まりました (´・ω・`)。

 家からはほんの120キロと、意外に近い「解脱の家」。行ってみれば、簡素な部屋の木賃宿そのもの。当番制の掃除、自炊、医療施設なし(そりゃそうか)。そして15日したら退去、という条件。仕切っているミシュラなる僧は、油断ならない商人のような空気も。
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 つまり「2週間以内に死ぬつもり」の人ばかりが住んでいる妙な共同体。当然ながら老人ばかりなのですが、なんとなく明るくゆるーい雰囲気です。テレビのある一室に集まっては連続SFドラマを見てみんなで大笑いし、あまり荘厳さを感じない賑やかな音楽で神々を称え。
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 「帰ろう、父さん」。呆れるラジーブ、何回この言葉を口にしたことか。が、ダヤはガンジスの流れを横目に見ながら「心のままに」と、浮世離れ(そりゃそうか)した暮らしを心から愉しんでいる様子。一方でラジーブの携帯は鳴り続け、契約は次々とパーになっていきます・・・。

 仕事を思うと苛立つラジーブですが、何日か経つとここの奇妙な時間の流れを受け入れ始め、かつて詩人を夢見た自分を認めなかった父・ダヤへのわだかまりも少しづつ溶けてゆきます。
ガンジスに還る02

 何より、時折目にする「解脱」した人たちを弔う光景。ガンジスのほとりに運ばれ、花に埋もれ、焼かれ、そしてガンジスを流れていく多くの亡骸は、まさに何も持たない旅立ち=解脱です。関わるものすべてをコントロールしようとヘトヘトになっている俺は何なんだ・・・。

 それはヴェムラという、解脱の家に18年住み続けている(!)という女性と触れ合ったからかもしれません。実は別の名前を名乗り料金を払えば、また次の15日を過ごせる「解脱の家」。夫とともに来ながら、自分のみ取り残され待ち続ける「解脱」。既に俗な想いからは相当解放されているような眼差しと言葉は、噛みあわない親子を包みます。

 あまり僧らしくないミシュラは「自分には解脱の時期が分かる」と断言しますが、信じないラジーブには父・ダヤのその時を決して口にしません。ただ、「今ここを去ると自分を赦すことができなくなる」と言うのみ。
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 ラジーブは携帯につながれたまま悶々としたままなのですが、彼のいない間にスニタは元々ラジーブの顔を立てての意に沿わない結婚を「心のままに」破棄し、ラタは追認。そして一度は劇的に逝ったかと思われたダヤは回復してピンピンしています。
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 一体、ハッピーエンドは来るのか?そもそもどうなったらハッピーエンドなのか?全く先を読めないハラハラをよそにガンジスはゆったりと流れます・・・。



 これは素敵な映画でした(*´ω`*)。インド映画って初めて見たのですが、画面も音楽もものすごキレイでした。テーマは死生観そのものと重いはずなのに、水彩画のようにさらさらと進んでいきます。でも、画面の転換はスピーディで、見ていてアメリカの映画なのかなって思ってたほど。

 ラジーブさん、同年代サラリーマン男性として苦く共感しました。肩に力が入りっぱなしの一方で空回り気味の彼は私そのものです。

 インド人の死生観って全然知らないのですが、日本人のそれと割と近そうに感じました。ダヤさんは死→解脱=今生からの魂の解放といった文章を書いていくのですが、浮世&男性性ぐるぐるまきのラジーブさんとは真逆です。が、ダヤさんもきっと現役だったころは似たようなものだったはず。

 「心のままに」と言うと、なにか歌の文句みたいになりますが、少しだけ肩の力を抜いて何でもかんでも自分でコントロールしようとするのを止めてみるだけで大きく変わるかも。ラジーブさん、終盤でおずおずとそれを試み始めて、キュートでした。おっさんだって、おっさんを止めればキュートになれるんだ。おっさんからの解脱です。

 私は中年サラリーマンにシンクロしちゃいましたが、色んな人が登場人物の誰かに共感できそうな素敵な映画でした。画面と音楽が本当にキレイだったし。家族みんなで祝祭を眺めるシーンなんて、うっとり。

 救いに満ちた温かい終わり方も良かったです(*´ω`*)。

ガンジスに還る08
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