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地には平和を

 ものすごく仕事が忙しい一日でした (´・ω・`)。
 
 それはそれとして、今日は私の生まれ育った広島に原爆が投下された日でもあります。テレビ・ラジオの類は全く目にしておりませんが、「・・・広島は深い祈りに包まれています」といった定型文のニュースがたくさん流されていることでしょう。
 
 広島に生まれた者は、大抵身内に何人かは原爆の被害を被った人がおります。私の家も、もちろん。終戦で軍から放逐され、8月16日に広島に入った父は被爆者ですし。
 
 ただ理不尽な死、意に沿わぬ苦しみは戦争や原爆であろうがなかろうが悲しいことで、原爆だけが特にクローズアップされるのもどうなのかな、と正直感じています。

 更に言えば、被爆地ヒロシマは悲惨な被害者ではありますが、当時の広島は西日本最大の陸軍の拠点(隣の呉市は海軍の一大拠点)でもありました。観光地・広島城を歩くと、旧陸軍施設跡がいくつもあり、市民が使ってるJRの駅は大勢の兵員輸送のための異常に長いホームが不自然に残っています。
 
 これら軍都・広島については、平和記念公園(リニューアル前です。今はどうなのか知りませんが)でも、小中学校でめっちゃ時間を割いてる「平和教育」でもほんのわずかしか触れられておらず、個人的には少しアンバランスな印象を持っています。
 
 ただ一点、原爆(核兵器)が他の悲惨な死と違うとすれば、一度の攻撃で死ぬ人の多さと放射能被害なのかな、と思っています。原爆開発のために大変な労力はかけられましたが、実際の投下にあたっては数機の爆撃機のみ。あれほどの甚大な被害がわずかの行動でなされてしまう大理不尽。
 
 現代ではミサイル発射のボタンを押すだけで、一国が何度も滅びるほどまで。これはもう人間に負える責任をとっくに超えてるんじゃないかと思います。
 
 アメリカに半年ほどいたことがあるのですが、スミソニアン航空宇宙博物館では原爆投下を「正義の判断」といった紹介がされていました。一方の見方、です。それを否定はしませんが、他方があるということに考慮のない博物館ってのは学術と呼べるものなのか。
 
 
 今朝、原爆投下の時刻(午前8時15分)、毎年と同じくサイレンが鳴り、その場で多くの人が黙祷を捧げました。が、何もしない人も少なくはありません。広島ですらこうなのですから、他の地域ではあまり関心は払われてはいないことでしょう。
 
 実際、広島の人間ですら、長崎の原爆投下時刻を正確に知らない人は少なくないと思います。
 
 ただ、この悲惨も軍都であったことも実際にあったこと。今はその延長線上にあり、多少延びたとは言え人には寿命があり、伝え・記憶し続けることしか再度の過ちを避ける術はないように思うのです。実際、それくらいしか。
 
 
 明日はまた普通の一日が来る広島。しかして、その数日後に長崎の記憶が巡る日がやってきます。無関心と忘却、そして怠惰こそが人間の敵に思えてなりません。
 
 
 地には平和を。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ。

 そして、すべての理不尽な死を強要された人たちに合掌。
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