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原爆を落とされた町に生まれて

 


 
 私の住んでいる広島市は、市内中心部の賑やかなところでも半径数キロという小さな町です。
 
 かつては軍都であり、周囲を山に囲まれたその地形は、戦略上も、「新型爆弾」の効果を測る上でも好都合だった、とか。
 
 平和記念公園も、原爆ドームも、広島市民には元々あるものでなじみ深いですが、全国的にはあまり一般的ではないのかもしれません。これまで会った広島以外の人は、8月6日が何の日か知らない人も少なくありませんでしたし。
 
 子供の頃から、学校では「平和教育」の時間が設けられており、原爆の悲惨についてはよく聞かされてきました。もっとも、そんなことをしなくても、広島に生まれて育っていれば、親類縁者に必ず一人は原爆で何らかの被害をこうむった人がいるもので、親戚が集まっての昔話では、よく出る話題ではないかな、と思います。
 
 ただ、日本の加害責任については、教わったのかどうか、印象がありません。正直、少なくとも私が子供の頃の「平和教育」は、ややバランスを欠いたものだったのかも。あくまで私の印象のみですが。
 
 
 仕事でアメリカに半年ほどいたことがあります。
 
 12月8日は「パールハーバー・アタック」の日で、退役軍人ぽいおっちゃんあたりに何度か絡まれました。
 
 「オマエは日本人か? 今日が何の日だか知ってるのか?」
 「オレはヒロシマで生まれた」
 「・・・もう、昔の話だ」
 
 「オレはヒロシマで生まれた」。とっさに出た言葉でしたが、効き目があったようでした。他にも、この言葉で難を逃れたことが数回。
 
 
 ただ、原爆投下が終戦を早め、結果的に多くの人命が救われたという理屈には、アタマでは理解しながらも、やはり少々の違和感が残ります。
 
 平和記念公園の中にある、原爆資料館。そこにある事実(=展示)のあまりの悲惨さ、あまりの暴力の無頓着さに。
 
 どこの国の人かはわかりませんが、平和記念公園には多くの外国人さんが来てくれます。先の、政治家や軍人が言いそうな理屈とは別の現実感も感じてもらえたらうれしいなぁ。
 
 もう、戦争の局面が煮詰まった段階での判断と、そこに至るまでの長い生活、そしてそれを一瞬で焼き尽くす暴力の行使のギャップを。
 
 そうならないようにするには、普段の互いの理解と敬意が欠かせないであろうことを。
 
 アメリカでは、アジア各国の人たちにも多く会いました。彼らの国で教育されている日本の加害責任を問われた時の戸惑い。ヒロシマで生まれ育ったとは言え、私は加害国の子でもあるのだ、と。
 
 どの国の人たちとも仲良くしてもらいました。直接、会って、話すことに勝るものはありません。
 
 この目で見もしないで、ネットなどでわかったような気分になりがちな自戒もこめて・・・。 
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