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お母ちゃん、本当にありがとう

 母が逝った日のことを思い出しました。今が真夜中なのも手伝い少ししんみりしたもので、母のことを書いてみます。
 
  一人でいた自宅で倒れていたところをたまたま訪ねてきた兄嫁が見つけてくれ、病院に担ぎ込まれた母は意識が戻ることなく翌朝の5時あたりに逝ってしまいました。
  
  私が父と一緒に病院に着いたのは夕方の7時くらいだったでしょうか。お医者さんという職業は冷静に事実を伝えることが大切だとわかってはいながらも、母の意識が戻ることはなく手の施しようがないことを淡々と話す姿は残酷にも感じました。
  
  そして、父は何も言わずにそれを聞いていました。
  
  「手の施しようがない」とは言われましたが、本当に何もしてくれないのには驚きました。そして私達家族は母のベッドに手を差し入れ、身体をさすり続けることくらいしかできませんでした。何かの奇跡でも起きて、家族の気持ちが通じて母が目を覚まさないか、と。
  
  翌朝の5時までそれをずっと続けたのですが、心電図の線が一直線なものになる直前、母の目から涙が一筋流れたのを今も覚えております。
  
  意識が戻ることはないと言われながらも、単なる生体の反応かもしれないと思いながらも、あの涙には何かしらの意味が、メッセージがあったと思いたい。
  
  老衰で天寿を全うした父と違って、母の死は本当に突然でした。もう20年以上経っていながら、私は今もって母が亡くなったことがよくわかっていないような気がします。
  
  私のモノの考え方や、本や美術などへの興味の傾向が母によく似ているからなのか、私の中での母からの影響や、母ならどう思うだろうといったことが今も少なくなく、母が今もいるような感じがしているのでしょうか。先日、姉から「あんたの言うことが、最近特にお母さんに似てきた」とも言われましたっけ。
  
  とまれ、母がもういないこと当然わかってはおります。そして父も。それでも、子供の頃からの思い出や「今、いてくれたなら、こんな話をしてみたい」といったような詮無い想像も含めて、思い出すとそこに現れてくれるような気がするのです。
  
  母の死を受け入れているかどうかは、どうでもいいです。母が今もいるように「母ならどう答えるだろう」と空想し、それらしい答えがどこからか湧いてきますから。
  
  別れは唐突でしたが、それからの20年以上母の不在をそれほどリアルに感じたことがありません。今も。またいつかどこかで会えそうな、なにかそんな気持ちでずっと過ごしております。
  
  私を産んでくれ、こうした人間につくって(出来の良し悪しではなく、こういう自分を引き受けるという意味で)くれたのはあなたのおかげです。お母ちゃん、本当にありがとう(*´ω`*)。



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コメント

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お母さま♪を思い・・・

感謝するお気持ち☆
本当に素敵だと思います☆

これからもお母さま♪
home my shoesさん♪の心の中で
生き続けて行きますよね♪

今日もお元気願っております☆

No title

お母さんへの思い出、読んでいてお気持ちが良く分かりますよ。

私はどちらかというと父親似でやはり同じようにおやじそっくりになってきたなって言われます。

親爺もお袋も田舎出身で苦労してきたので子供の教育にはとても熱心でした。

そんな親父は大の子ども好きで我が兄弟の子供(孫)を溺愛していましたが我が2人の子供だけは両親のとの思い出はほぼ皆無なんですよ。
二人とも親爺が喜ぶような大学に入ってくれたのを見てもらえなかったの悔やまれます。

ありがとうございます

home in my shoesさんへ

はじめまして。何時も訪れさせてもらっています。

お母様を純粋に思慕する温かいお話に、
目を覚まされた思いがしました。
既にこの世を去っているのに、依然として自分の周り
で息をしているような感覚が消えない。
それが血の繋がり、家族なんだとこの頃強く感じて
います。
私の母も高齢ですが、まだ何とか元気なので親孝行
しなければと改めて思いました。

home in my shoesさん♪

おかあさまの涙は「ありがとう」の涙でだったと思うんです。
心の中におられるおかあさまはいつも見ていてくださり、
考え方や興味の傾向がおかあさまの影響を受けられたhome in my shoesさんの
そばで頷いておられるかもしれないです。
亡きおかあさまに感謝し思い出を偲ぶとき
天国のおかあさまのまわりに花が咲き、その花がポンポンとはじけてとても良い香りが漂うのだそうです。
私の父もすでに亡くなり、父方の家系はお寺ですが
(父は僧侶ではないです)生前はよく「(親父に)(おふくろに)守られてるような気がする」と言っていました。

お別れ

手の施しようのない、というのは家族にとってはあまりに無慈悲な気もしますが、お医者さんにはお医者さんなりのお考えがあったり、あるいは自己の無力さへの自問自答もあるかもしれないので、いちがいに責めるわけず、こちら側にも、ものすごい葛藤があります。

自分は癌で闘病していた父を看取った時に、主治医から延命措置はしないと言われて、さっきまでは意識もあって話もしていたじゃないかと怒鳴りたいのをこらえて、母と最後まで声をかけていたら、home in my shoesさんと場合と同じように、息を引き取る寸前に父の頬を涙がつたいました。

オードリーさん

オードリーさん、こんにちは。コメントありがとうございます(*´ω`*)。

忘れない限り、そこに立ち現れてくれるような気がしてなりません(*´ω`*)。それは親や親戚のみならず、一緒に暮らしたわんこもまた。虹の橋を渡ったこまちゃんのこと、今も思い出すと涙が出てまいります・・・。

常実夢夫さん

常実夢夫さん、こんにちは。コメントありがとうございます(*´ω`*)。

お父様似ということは、教育熱心もまた、という流れでしょうか。ご立派な大学に入学されて何よりです(*´ω`*)。

外に出ようさん

外に出ようさん、初めましてこんにちは。コメントありがとうございます(*´ω`*)。

私自身も不思議な感じで、どうもうまく書けません・・・。父は段々と弱っていったので、それなりにこちらも覚悟をする時間が合った一方で、母の方は突然だったもので・・・。

お母様はご健在でいらっしゃるのですね(*´ω`*)。どうか少しでも良いお時間をともに過ごされますように・・・。

Rei*さん

Rei*さん、こんにちは。コメントありがとうございます(*´ω`*)。

「ありがとうの涙」であるということは、今日の今日まで思いつきませんでした。そう思うと、何か少し気持ちも軽くなるような気がいたしました。ありがとうございます(*´ω`*)。

そうなのですね、亡き人を思う度にその人に祝福が訪れるということも、また初めて知りました。とてもいいことだと思います。何か、これから亡くなった父母や親戚を思うことが、またつながりがあることを信じたいと思います(*´ω`*)。

ありがとうございます。

ギターマジシャンさん

ギターマジシャンさん、こんにちは。コメントありがとうございます(*´ω`*)。

マジシャンさんのお父様も、私の母同様に手の施しようがなかったのでしょうか。そして涙もまた。

人の死は、その人にしか受け止められない・為し得ないことで、そこでどんなことが起きていたかは知ることができませんよね。せめて、少しでも安らかであったことを願うのみであります。

合掌。