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なぜ、時間を生かせないのか


 
 
 なぜ、タイム・マネジメントの技術を学んでも熟達できないのでしょうか。「知的基礎体力」、つまり「集中力」がないからです。そして、更に大切なことは時間の「密度」です。時間は、長さの捻出だけでなく、密度の濃い時間を生み出したかを問題にすべきなのです。

 集中力を身につけるためには、「真剣勝負の場に身を置くこと」です。心の奥に「いざとなったら逃げ道がある」という無意識がある限り、本当の集中力を発揮することはできません。そして「真剣勝負の場」とは、顧客、同僚、上司、後輩、自分という人間のサービスを求めている人たちです。

 
 「職業的な知恵」とは体験を通してしか得られないという「覚悟」を定めることです。本から学ぶものと、実際の「決断」は全く違った世界で、それを身につけるための最高の修行の場が職場です。
 
 経験から学ぶためには「感得」が必要です。深く心が動かされる「体験」を得、その意味を掴み取る。これが感得の意味、言葉を換えれば「気づき」です。感得は、心で感じるものです。我々は仕事の場のみならず、様々な場面での気づきを得るために「感じる力」「感動する心」が必要なのです。
 
 反省の背景には、ある思想があります。「全てのことに、深い意味がある」。起きた出来事は、それ自身を通じて、我々に大切なことを教えてくれようとしているというものです。いかなる苦しいことでも、そこから大切な何かを学ぶことができるならば、我々は成長していくことができる。ネガティブな問題から、ポジティブな意味を感じ取る努力こそが、反省ということの本質なのです。
 
 「時間を生かす」とは、大切な人生の時間の中で、与えられた「経験」や、巡り合った「人間」から、深い「知恵」を学ぶことです。その「知恵を学ぶ」ということは、一人の人間として、一人の職業人として「成長」するということです。
 
 「いま、ここが、成長の場」と思い定めることで、「ここ以外なら、どこでも構わない」「いつか、ここ以外の場所に行けば、今の自分ではない何かになれる」といった幻想、逃避を断ち切るのです。もしも我々に成長の場というものがあるならば、それは、「いま、ここ」以外にはないのです。「いま、ここ」で、掴むべきものを掴むことができなければ、「いつか、どこかで」それを掴むことは、ない。そう、思い定めることです。
 
 いま、この一瞬を輝いて生きること。いま、この一瞬を精一杯に生き切ること。夢を描き、目標をもって生きることの、本当の意味はそのことにあるのです。もし、我々がそうした「生き方」をすることができるなら、たとえ夢や目標を実現できなくても、それは決して「人生の失敗」ではない。むしろ、それは、素晴らしい「人生の成功」なのではないでしょうか。
 
 時間を大切にできない。気がつけば、無為に時を過ごしてしまう。そして、その無為に過ごした時を悔やむ。それは、「努力」が足りないのではなく、「覚悟」が足りないのです。なぜ、我々が時間を大切にできないのか。それは、我々が無意識に、「時間は無限にある」と思っているからです。
 
 我々の日々の時間の密度、そして人生の密度を定めるのは、何か。それは、その人間の「いかに生きるか」の覚悟に他ならない。なぜ、時間を生かせないのかという問いは、いかに生きるかという問いに他ならない。そのことに気づくのです。
 
 過去はない。未来もない。あるのは、永遠に続く、いまだけだ。いまを生きよ。いまを生き切れ
 
 
 
 
 私は無為に一日を終えることが少なくなりません。そして、いつの間にか年齢も重ねておりました。今まで何をしていたのか、残り時間で何ができるのか、そう暗い気持ちになることもたまにあります。

 先日、親しくさせていただいていた若い友人が亡くなりました。辛い体験も多かったらしいのですが、人への敬意、信頼を失わない尊敬する友人でした。その方の生きた時間に較べて、なんと薄い私の時間。 そう思っていた時に読む機会に恵まれた本書です。

 それまで自分自身に感じていた苛立ち、亡くなった友人への申し訳なさを含んだ気持ち、それらに対してどう考え、行動するのか。本書で肚に落ちたように思います。否、肚に落ちただけでは意味を成しません(知識と体験は違う、と本書でも指摘)。これから自分がどうするのか、何をして見せるのか。

 良い習慣を身につけるのは簡単ではありませんが、いま、この瞬間を精一杯生きたことを繋げていけるよう、集中と熱意、そして他者への敬意をもって、これから。
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